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遠野その後

被災文化財調査地の遠野を離れ釜石に出て海沿いの45号線を行く。

北上して宮古手前の津軽石駅近くの街道で車を止め登録文化財の家を訪ねた。

当初ガイド通りに行くと道は細くなり、山の奥へと分け入る。

が発見できなかった。

それと引き換えに、海辺のこの小山には四方八方から登山道があり、津波の際、どこからも駆け上がって避難する場所であることを発見した。

つまり津波に関しては身近なものとして対策が講じられている。

 もう一例。宮古から45号線を南下し釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼と南下したが、各市街地には山沿いの道を下りるようにアプローチする。

その際「ここから津波浸水想定区域」の看板があり、それをくぐって中心部に入る。   看板より上には今回も津波が来ていない様子だ。

このように対策が講じられていても、やはりひとは海の近くに住みたい。

一方釜石から南下して、45号線をおり海辺の道を走ると隣り合う入り江によって、津波の被害にあっていない集落があった。海に近い平地にはそもそも家を建てない。そんな事例もある。

 画像は宮古のホテルの窓から見た景色。

カーテンを引くと瓦礫となった車の集積場が外に見える。普段は美しいリアス式の海の眺めが広がっていたことだろう。

このホテルも一階は津波の影響をまともに受けて大浴場は利用できず個室のユニットバスのみ使用可だ。エレベーターも従業員用のみ利用可。津波当時は一部屋に何人もの人が避難し生活をともにしたという。

帰途気仙沼に寄った。千厩で建築修復学会があった2002年以来だ。

海岸沿いに銘酒「男山」、一筋裏通りに南部杜氏「両国」の角屋。ともに国の登録文化財だが無残にも男山本店の3階建ては1,2階が倒壊し流され、3階部分が地上に。

角屋も漆喰壁の2階部分が地上に落ちそのまま20メートルほど奥に流されていた。前回訪れた際、建物の不整形さに気づいたが、それを意識させぬほど見事に敷地に沿わせ屋根や壁、軒先が構成され大工の腕を充分うかがわせた。

今回、図らずも建物が奥に流されたため、元の基礎石が敷地の不整形さをあらわにし、それをこなした大工の腕が如何に高度なものだったかを再度見せ付けていた。